
| 年 | で き ご と |
| 929 | ハインリヒI世がマイセンに城砦を設置。(これがその後ザクセンの中核となる。) |
| 1089 | ヴェティン家がマイセン辺境伯の地位を獲得 |
| 1307 | ルッカの戦いで辺境伯フリートリヒがドイツ王に勝利し、マイセン辺境地におけるヴェティン家の支配権を確立。 |
| 1423 | マイセン辺境伯のヴェティン家がザクセン・ヴィテンベルク選帝侯の地位を獲得 |
| 1485 | ヴェティン家の選帝侯エルンスト/大公アルプレヒト兄弟が対立し、ザクセン選帝侯領は西のエルネスト系と東のアルベルト系(ほぼ現在のザクセン州)に分裂する。アルプレヒトがドレスデンに居を定める。 |
| 1517 | 宗教改革運動始まる。エルネスト系のフリートリヒ賢公が推進。 |
| 1547 | アルベルト系のザクセン公モーリッツがシュマルカルデン同盟を制圧して、エルネスト系を倒し、選帝侯に叙せられる |
| 1635 | 高・低両ラウジッツ(現ザクセン州東部)がザクセン選帝侯領となる |
| 1697 | 選帝侯フリートリヒ・アウグストI世がアウグストII世としてポーランド王に選ばれる |
| 1763 | 7年戦争終結。ザクセン・ポーランド同盟の解消 |
| 1791 | 選帝侯フリートリヒ・アウグストIII世がポーランド国王の地位を放棄 |
| 1806 | ザクセン、ライン同盟に加盟、王国となる |
| 1807 | ワルシャワ公国と同君連合 |
| 1813 | ライプチッヒ郊外の戦いでザクセン国王はプロイセンに捕えられ、ロシアの支配下に置かれる |
| 1815 | ウイーン会議の決付議に基づいてザクセン分割、ワルシャワ公国との同君連合解除 |
| 1830 | 9月動乱による政府危機。リンデナウ政権が市民改革路線へ転換 |
| 1831 | 新憲法発効 |
| 1848/49 | 48年革命の中心のひとつとなる |
| 1866 | 北ドイツ同盟に参加 |
| 1871 | ドイツ帝国の傘下に |
| 1918 | フリートリヒ・アウグストIII世退位。ザクセン共和国宣言 |
| 1919 | ワイマール共和国のもとで自由州となる |
| 1933 | ザクセン自由州、国家社会主義の統制下に置かれる |
| 1945 | ドレスデン大空襲、敗戦 |
| 1952 | ザクセン州、ケムニッツ(1953年以降カール・マルクス市)、ドレスデン、ライプチッヒの3地域に分割 |
| 1990 | ザクセン州再統一 |