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ドレスデンは第2次世界大戦の末期、1945年2月13日から14日にかけて連合軍の爆撃によって壊滅的な被害をうけました。現在では街全体に修復がかなり進んでおり、爆撃の被害も外からはほとんどわからないほどになっています。しかし、この爆撃で犠牲となった大勢の人たちを追悼する催しはなお続けられています。
  ドレスデン大空襲の犠牲者数
ドレスデン爆撃の犠牲者数について、2008年9月末、専門家による綿密な調査の結果が発表されました。第2次世界大戦の末期、1945年2月13日から14日にかけて行われた連合軍による爆撃の犠牲者数についてはこれまでさまざまな背景からいろいろな推定がなされ、時にはナチスによるユダヤ人虐殺やスターリンによる虐殺なども引合いに出されるような激しい論争も行われてきました。

爆撃後以来これまでに挙げられた犠牲者の数は3万5,000人から50万人まで、立場によって推定する人数に大きな開きがありました。それほど開きが大きいということはいずれも確かな数字とはいえず、中には政治的プロパガンダのための数字もあったわけです。

そうした中で、2004年のザクセン州議会選挙で極右政党のNPDが初めて議席を獲得し、以来論争がいっそう激しくなりました。このため、大空襲の犠牲者数について改めて正確な数字を確認し、憶測に基づく政治的議論や対立を終わらせることが必要だと考えられるようになりました。

こうして、2004年、当時のロスベルク・ドレスデン市長が歴史学者など11名の専門家で構成される委員会を設置し、厳密な調査の実施を委託しました。委員長は「軍事史研究庁(ポツダム)」のロルフ・ディーター・ミュラーという方が務めました。

同委員会は4年間にわたって、考えられるあらゆる方法を駆使して広範な調査を実施し、裏づけをとり、検証を行ったとして2008年9月30日、第47回ドイツ歴史学会において調査の結果を発表しました。

それによると、犠牲者として確認できたのは1万8,000人で、これまでの最も少ない推定数をも大きく下回るものでした。委員会は最大でも2万5,000人としており、非公式には2万人という数字も挙げています。調査のの過程では、当時の埋葬記録はもちろん、東ヨーロッパから来ていたとみられる難民、火災による死体消失の可能性の有無、爆撃直後にあったとされる機銃掃射の有無など科学的に綿密な調査を行い、これまでの証言の多くがくつがえされたとしています。

委員会としては犠牲者数がここまで確認されたことで、憶測をもとに行われてきた政治的論争に終止符が打たれ、真に犠牲者に思いをめぐらせる状況が生まれることを期待しています。しかし、確かな数字が出たことで新たな論争が生まれることが早くも予想されています。
犠牲者追悼のために灯されたろうそくと集まった人々
2005年2月13日、聖母教会前     
-- ドレスデン情報ファイル 2008.10.03 --