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ザクセン州の概要 1 |
[地理]
ドイツ16州のひとつであるザクセン州はドイツ東部に位置し、ポーランドおよびチェコとの国境に接しています。州の南側はボヘミヤ山脈を境にチェコと接し、そこから北へなだらかな丘陵が続き、州の北部は北ドイツの低地へとつながっいます。
ポーランドとチェコの間の山地に端を発するエルベ川が州の南東から北西方向に向かって流れ、周辺の丘陵地帯とともに美しい風景を作り出しています。
[歴史]
ゲルマン民族の中に「ドイツ」が形成された頃、東方への前線基地として設けられた「辺境地」から出発しました。中世の末期から近世にかけて繁栄し、プロイセンなどと並んでドイツで最も強大な領邦のひとつとなり、19世紀初めにはザクセン王国へと発展しました。
19世紀後半にはドイツ帝国に組み込まれ、戦前から旧東独時代を通じて、産業の中心地として大きな役割を果たしました。
1980年代末に州内のライプチッヒやドレスデンで生まれた民主化運動は1990年の東西ドイツ統一のきっかけとなり、その後もドイツの新連邦州の中でも最も有力な州として発展しています。
[文化]
ドイツの中でも経済力に裏打ちされた有力な領邦国家として繁栄し、芸術や科学が奨励されたことから、首都ドレスデンを中心に歴史的建造物が数多く残され、ヨーロッパのみならず東洋からも集められた芸術作品や工芸品などが広範に蓄積されています。近年、大戦で破壊された建造物の再建や博物館など歴史的遺産の整備が進み、オペラやシンフォニー、演劇、絵画などの芸術活動も盛んに行われ、世界中から数多くの観光客を惹きつけています。
[経済・産業]
鉱物、木材などの資源にも恵まれて、機械、繊維などの産業が発展し、ドイツ産業の中心地のひとつとして重要な地位を占めました。第2次大戦後はチューリンゲン地方とともに旧東ドイツの経済産業の中心地を形成していました。
東西ドイツ統一後は自動車、半導体、材料工学など、伝統を誇る産業基盤に立って先端技術の推進しています。
[主な都市]現在のザクセン州は人口、面積ともに日本の四国とほぼ同じくらいで,主な都市としては、首都ドレスデンのほかに、古くからの交易都市であり、大学都市、出版の町として発展したライプチッヒ、機械を中心とする工業の中心地ケムニッツなどがあります。
<写真上:州南部の農業地帯>
<写真中・右:ドレスデン王宮から見たゼンパーオペラ>
<写真下:ドレスデン市内のVW社ガラス張り工場> |
ザクセン州の名称(自由国家ザクセン) |
ドイツ連邦共和国は16の州(Bundesland)で構成されていますが、そのひとつであるザクセン州は「Freistaat Sachsen」というのが正式名称です。訳せば「自由国家ザクセン」あるいは「ザクセン自由州」となります。
連邦国家の中であえて独立性を主張しているようにも聞こえますが、実はこの「Freistaat]という用語はフランス語の「republique」をドイツ語化したもので、「自由な市民によって支配される地」を意味するものです。
ザクセンではドイツの他の地域と同様に第一次世界大戦後の1918年に王制が崩壊したが、そ |
の後ザクセン国民議会が1919年2月28日の「Freistaat Sachsen暫定憲法」としてこの名称を用い、翌年の正式憲法で正式な名称となりました。 1990年にドイツ連邦共和国に組み入れられた際もこの伝統が維持されました。
なお、ザクセン州のほかにも、バイエルン州およびチューリンゲン州が「Freistaat]の名称を用いています。
<上:州政府の紋章> |
ザクセン州の基礎データ |
面積と人口
ザクセン州は北緯約51度にあり、北米ではカナダのカルガリー、北太平洋アリューシン列島の南端あるいは樺太の中央部とほぼ同じ緯度にあります。
ザクセン州の大きさはドイツ全体の中で見ると面積で10番目、人口で6番目となっています。
日本でいえば、面積、人口ともにほぼ四国4県を合わせた大きさとほぼ同じです。 |
ザクセン州の人口の推移
ザクセン州の人口は1990年の東西ドイツの統合以降、出生率が低下したことや若年層が西部ドイツへ流出したことなどから、減少をたどっています。このため州では、経済や生活環境の改善に力を入れ、魅力的な街づくりりに努めています。ドレスデンなどの主要都市の中には金融・不動産などサービス業の成長に伴って、人口が増加しているところもあります。 |
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