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高台に立つザクセン最大の城のひとつ
ドレスデンから車で約1時間。ケムニッツ(Chemnitz)の東、チョパウ(Zschopau)の谷を見下ろす高台に立つ。
ザクセン最大の城のひとつで、広大な方形の敷地に宮殿や作業所、厩舎などの建物が左右対称に配置されている。周辺で最も高い丘の上にあり、城からはザクセンの美しい丘陵地帯を一望にする
ことができる。
城内に設置されたオートバイ博物館、馬車のコレクション、狩猟博物館などがよく知られている。オートバイ博物館にはザクセン自動車産業の起源ともいえるヴァンデラー(Wanderer)、DKWをはじめ、めずらしい車種が数多く集められており、オートバイ野郎たちのメッカになっている。
<展望楼から見た中庭>
このお城の威容は空からの写真を見ると最もよくわかる。
歴 史
この場所にはすでに1200年代からSchallenbergと呼ばれる要塞があったが、16世紀のはじめに嵐や雷でほとんど崩れ落ちてしまった。
その約20年後、アウグスト強王はライバルのエルネスト家のJohann Friedrichを破り、戦勝を記念する城を建造することを考えた。そこで強王はこの廃墟に注目し、ここに狩と自適のための城を建造することを決めた。
強王は城の建造をライプチッヒ市長で旧市庁舎を建築したHyeronimus Lotterにゆだねることにした。
Lotterは高齢を理由に辞退したが、是非ともという強王の求めに折れ、1568年、城の建造を始めた。彼は私財を投げ打って建造に努めたものの、工事の進捗が遅い、金がかかりすぎると圧力をかける強王との間で摩擦が生じ、完成間近にして王から解任されてしまう。そして、裕福で市民の人望も厚かったLotterは不遇のうちに世を去ったと伝えられる。
建物は装飾こそ少ないが、ザクセンの威光を充分に反映したもので、その姿は間もなく国外にも知れ渡るようになる。
城にはその後いくつもの改修が加えられるが、ドレスデンからはやや不便であったためか、強王以後のWettin家当主はだんだんとこの城に関心を持たなくなり、刑務所などに使われるようになっていった。
近年にいたって修復が行なわれて、往時の姿を取り戻し、いくつもの博物館が併設され、この城は再びザクセンの名所のひとつになっている。
<西側の門>
<馬車の展示場>
1790年フランクフルトで行なわれた
皇帝選挙の際にザクセンの使者が使用
<オートバイ博物館内部>
-- ドレスデン情報ファイル 2004.09.19 --