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大庭園の中央、花壇と宮殿
      寝室のない宮殿
旧市街から少し離れた南東の方向に広がるドレスデン大庭園。訪れる観光客はあまり多くないと思われるが、市の中心にあたるここを憩いの場として訪れる市民は多い。広い芝生や花壇、野外劇場さらには林や池などが配置された大規模な庭園である。東西の長さは1,900m、南北の幅は900mないし1,000mに達する。その面積は155ヘクタールで、ニューヨークのセントラルパーク(320ha)には及ばないが、ロンドンのハイド パーク(139ha)よりも広く、東京の日比谷公園(16ha)の10倍近くに達する。南北の中央をまっすぐに幅広い道路が横切っており、家族連れで自転車に乗ったり、インラインスケーティングを楽しんだりするのに格好の場所となっている。その周辺の花壇や林の間には縦横に遊歩道が通じている。庭園の中央にはバロック様式の宮殿があり、その前庭は花壇、後ろは噴水のある池になっている。
宮殿裏手の花壇
庭園の南東は池のある公園になっており、ボート漕ぎを楽しむことができる。南西側は動物園である。夏の間は、池のある公園と動物園の間にSLや蓄電式電気機関車が引く小型の遊覧鉄道が走っている。北東の端はフォルクスワーゲン社のいわゆるガラス張りの工場が占め、その隣はドレスデン工科大学の植物園である。
庭園内の森

<庭園内の森>
もっぱら祭事に使われた宮殿
この大庭園は1676年、時のザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク2世が造らせた。ヨハン・ゲオルク2世は30年戦争後のザクセン経済の建て直しに努める一方、フランスのルイ14世に倣ってザクセンに絶対王政の軌道を敷いた。ヨハン・ゲオルク2世はアウグスト強王の3代前にあたるが、ザクセン選帝侯家はすでにこの時代にはヨーロッパ有数の豊かさを誇り、大庭園の造営はそうした権力と富を誇示しようとしたものであったといえる。
中央の宮殿(Palast=Palace)はその息子ヨハン・ゲオルク3世が建てたものである。ドイツにおいてドイツ人が設計した最初のバロック建築とされ、当時としては高価な石造りの建物であった。この建物は音楽会や舞踏会など、もっぱら宮廷の催しのために建てられたもので、内部には大広間が2つと続きの間がいくつかあるだけで、寝室などはない。南国イタリアの建物に似せて、当初 は夏の間だけ使うものであったため、暖炉はなく、窓ガラスも入っていなかった。その後、窓ガラスは入れられたが、外から見ても中はがらんとしているため、廃墟の 蒸気機関車に引かれて走る遊覧列車

<園内を走る遊覧列車>
ように見える。噴水の南側には音楽会やオペラ、演劇など宮廷の催しのための円形劇場がある。

この庭園は19世紀に一般に公開された。
第2次大戦末期に空襲で大きな被害を受けたが、旧東独時代から少しずつ修復が行われており、統合後の1995年から2001年にかけて外壁などの修復が行われた。
この庭園はザクセン州宮殿・庭園局(Staatliche Schloesser und Gaerten)が管理している。州は引き続き整備に努めており、2006年は約480万ユーロをかけて、道路や通路の整備、小型鉄道の駅の改修などが行われた。2007年も450万ユーロを計上して、園内の道路や小型鉄道の線路の改修や取替えが計画されている。
   
   -- ドレスデン情報ファイル 2005.05.15 --