歴 史
アウグスト強王のもとで大臣を務めていたフォン・ワッカーワルトが1719年、ここにあった騎士領を購入し、広大な庭園と居城の建設を開始。購入した騎士領はその4年前に大火に遭って主な建物が焼失していたため、格安に購入したものであった。軍人でもあったワッカーワルトは兵隊も工事のために動員し、丘陵や谷をならして、広大な敷地に城と庭園を建設した。
その後、1723年、この城と庭園は購入を希望したアウグスト強王に譲り渡されたが、この売買は3年間にわたって秘密にされた。アウグスト強王は当時、モーリッツブルク城を完成させたばかりで、その上、ピルニッツ城を建設中、タシェンベルク宮を改修中、ツヴィン |
ガーを建設中という状態にあり、財政難の中で贅沢との謗りを受けたくなかったためといわれる。
アウグスト強王の所有であることは1726年になって公表され、さらに大幅な拡張が計画されたが、財政事情で実施には至らなかった。強王はここで毎年盛大な催しを開いたといわれる。建設にはアウグスト強王の時代に活躍したJohann
Christoph Knoeffel、Zaharias Longuelune、 Matthaeus Daniel Poppelmannなども参加している。 18世紀半ばには7年戦争で傷つき、プロイセン軍の司令部が置かれたほか、19世紀はじめにはナポレオン戦争で損傷を受けたが、その後度々修復や改築が行なわれてきた。 |