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多彩な役割を果たした強固な守り |
ザクセンスイスの砂岩でできた高さ240mの台形の山上にそびえる要塞。ドレスデンからエルベ川をさかのぼること約30km、ザクセン州でも最も風光明媚なエルベ砂岩山群地方の中心に位置する。土台ともいえる足元の絶壁は高さ40mに及ぶ。面積9.5ha、城壁の周囲は2.2kmに達する雄大な要塞で、その城壁に沿って巡れば、足元を蛇行して流れるエルベ川、眼下の町や対岸の村、その向こうのザクセンスイスの岩山や野原、東部エルツ山地、さらには西方のドレスデン方向にはるかに連なる広大な丘陵の眺めなど360度にわたってすばらしい景観を楽しむことができる。 |
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歴 史
はじめて歴史に記された13世紀(1248年)にはこの場所にボヘミヤ(チェコ)王の城砦が建てられていた。その後15世紀にはザクセンのベティン家の手に渡ったが、マイセン辺境伯領の東端にあって東方からの侵入を防ぐための強固な要塞として完成されていった。立地的にはプラハ-ドレスデン-マクデブルクを結ぶ塩の道やエルベ川の水上交通路に沿っており、経済的にも重要な場所にあった。
風光明媚な環境の中で宮廷の宴に使われることも多かったが、難攻不落の要塞であったことから、戦時においては王家の財宝や美術品を保管したり、形勢不利となった際には国王の隠れ家として使用されたりした。逆に、ザクセンが有利になったり、勝利した際には敵の捕虜や罪人を収容するための、逃れることのできない堅固な牢獄ともなった。 |
1849年にドレスデンで民主化運動が高まると王家一族がこの要塞に難を逃れ、暴動が制圧されると今度は捉えられた革命指導者をここに閉じ込めるといった具合である。
ここに閉じ込められた人物としては、はじめてマイセン磁器を創ったヨハン・フリートリヒ・ベトガーの他、ロシアの革命家ミハイル・バクーニン、社会民主主義の先駆者アウグスト・ベーベルなどがあり、歴史上の人物や犯罪者を含めその数は知れないほど多く、1922年まではザクセンでももっとも恐れられた刑務所であったという。そして、現在 はドレスデン近郊でもっとも人気の高い行楽地のひとつとなっている。
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みどころ
要塞の中にはゴチック、ルネサンスそしてバロック様式の各時代を映す約30の建物や施設があり、昔の要塞司令官の部屋を再現した展示(上の写真)、歴史をたどる博物館などに使われている。
見もののひとつは生活のために欠かせない水補給のための井戸(写真右)。比較的やわらかいとはいえ、砂岩の岩盤を1563年から69年まで6年の歳月をかけてノミとハンマーだけで152.5メートルもの深さに掘り下げた深い井戸で、これが完成したことで要塞の利用価値と重要性が飛躍的に高まった。今も春から秋までの期間、水をくみ上げるデモを見ることができる。 |
アクセス
ドレスデン中央駅からKoenigsteinの駅まで列車で約40分。駅から徒歩で登るか、ふもとの駐車場までバスを利用。そこから観光用の牽引車両がある。
観光船を利用する場合、行きは5時間半かかるが帰りは3時間あまりなので、日帰りするには行きは列車、帰りは船という方法もある。
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